エリザベス女王の伴侶〜エジンバラ公フィリップ殿下〜

来月の誕生日(6月10日)に96歳になられるフィリップ殿下。  先日、今秋で公務から引退する事が発表されました。英史上最長の在位期間を誇るエリザベス女王の伴侶として、チャールズ皇太子が激しく反発した厳格な父親として、そしてときに過激なユーモアを発するおじいちゃん(?)として英国民から愛されてきました。 人格形成に大きく寄与したと言われる彼の波乱万丈の壮絶な人生を振り返ります。

1921年6月10日に当時のギリシャ国王の弟の長男として生まれたフィリップ殿下は、王位継承順位第6位のギリシャ王族でした。しかし、フィリップが1歳6ヶ月の時に同国でクーデターが発生し、両親と4人の姉と共に亡命生活を余儀なくされました。親戚関係にあったエリザベス女王の祖父であるジョージ5世の助けを受け、ギリシャを抜け出した一家はパリ市内中心部に程近いモンマルトルの丘とエッフェル塔が見渡せる所に居を移しました。 当時フィリップの家族は、英語・フランス語・ドイツ語が飛び交う家庭環境で暮らしたそうです。

亡命生活が始まって以来、フィリップの母親・アリスは躁うつ病の様な症状に悩むようになりました。またオカルトにものめり込み、グラスの上に置いた指が勝手に動いて精神世界が発するメッセージを書き表すという、いわゆる日本の「コックリさん」に似た様な現象に凝ったり、イエス・キリストと結婚した唯一の人であると信じたりする様になりました。 日常生活を送るのが困難となったアリスは、スイスにある療養所に移されました。  一方、父親・アンドレオスは愛人と暮らす為、モナコへと姿を消してしまいました。 その不倫相手というのが、ナポレオン3世や印象派画家・モネなどの愛人だったひ孫にあたる女性だったそうです。 またアンドレオスは、モナコで酒や賭け事にも溺れていたと伝えられています。その上、4人の姉達は次々と結婚してしまい、残されたフィリップは幼くして孤児同然となってしまったのです。

家庭崩壊の憂き目にあったフィリップは、母方の家族の勧めを受けて、8歳のときにパリのアメリカン・スクールから、イングランド南部バークシャーにある寄宿制の私立小学校に転校します。学期休みの期間は、祖母・ヴィクトリアが暮らすケンジントン宮殿で過ごすなどしていました。同校への入学時には英語よりもフランス語を流暢に操ることができたといい、数学やスポーツでは優秀な成績を残したそうです。   運動神経は良かったようで、校内大会では高跳び・水泳・飛び込みなどの種目で入賞。サッカーではゴール・キーパーのポジションを獲得、クリケットでも活躍したそうです。

フィリップが13歳になったとき、ドイツ系貴族の血を受け継ぐ母方の親戚はフィリップをドイツ南部ボーデン湖の近くにある学校ザーレムに入学させました。当時のドイツと言えばナチスが影響力を次第に高めていった時代で、校内にはかぎ十字が描かれた旗がはためいていました。                           フィリップはナチス特有の敬礼が同校の生徒がトイレに行きたいときの決め事となっている手の挙げ方と似ていたことから、その敬礼を見る度に笑い転げていたそうです。

結局ドイツでの学生生活は一年で終了し、ユダヤ系であったザーレムの校長がナチスから逃れてスコットランドに新設した、ゴードンストウン校に転校しました。 強靭な人格を形成することを主眼とする規律の厳しい男子校で、同校では航海技術の訓練が必修となっていました。ここで航海技術を習得したフィリップは、卒業後イングランド南東部端にあるダートマス海軍兵学校に入学し、ここがエリザベス女王との出会いの場所になりました。

同じ祖先の血を分けた王家の親戚付き合いの関係で、フィリップとエリザベスの家族は、結婚前から数度にわたり同じ場に居合わせたことがありました。 例えば幼少時のフィリップは、両親とともにエリザベスの祖母であるメアリー王太后とバッキンガム宮殿でお茶をともにしたことがあり、またウェストミンスター寺院で執り行われた親戚の結婚式にはフィリップとエリザベスがともに出席していました。 しかし2人が本当の意味で出会ったのは、フィリップが18歳、エリザベスが13歳の時でした。 当時の英国王ジョージ6世がダートマス海軍兵学校を訪問した際に長女のエリザベスのお世話役を同校に通っていたフィリップが務めたそうです。子供の扱いが上手だったフィリップは、しばらく電車のおもちゃで遊んだ後テニスコートにエリザベスを誘い、そのコートに張られていたネットの高跳びを披露したと伝えられています。   その間エリザベスはフィリップから目を離すことがなく、その場でお付きの人々にフィリップの素晴らしさを語り続け、翌日になっても自ら積極的にフィリップに話し掛けにいったそうです。以後フィリップが親戚付き合いなどを兼ねて王室関連行事に出席する度にエリザベスは彼への関心を高めていったそうです。そうする内に、2人の結婚について周囲でちらほらとささやかれるようになりました。

海軍兵学校を卒業したフィリップは士官候補生として英海軍に入隊し第二次大戦に従軍しました。戦争中もフィリップとエリザベスは遠距離恋愛を続け、フィリップはエリザベスの写真を航海中の船室内に掲げ、またエリザベスは宮殿内の一室にフィリップの写真を置いていたそうです。変な噂を立てられてはいけないからとお付きの人に自重を求められると、エリザベスは顔中に髭をたくわえたフィリップの写真に差し替えて「これでも誰の写真か分かるという人がいたら無視する」と言い放ったそうです。

 1947年 新婚旅行において、エリザベス女王との散歩を楽しむフィリップ殿下

終戦後間もない1946年の夏、フィリップはエリザベスの母親に誘われてバルモラル城で3週間の休暇を共に過ごしました。このときにエリザベスに求婚したと言われています。

2人が結婚に向けて本格的に動き出した時に周囲から問題とされたのが、彼の粗野な振る舞いとギリシャ生まれでドイツ系の家系というバックグランドでした。 当時、戦時中のナチス・ドイツの行いについての印象が英国内でまだ根強く残っており、王室関係者の間では妬みなどからフィリップの悪評を広めようとする者たちがいました。当時行われた世論調査でも2人の結婚に対する賛否がほぼ真っ二つに分かれており、反対意見の中には外国の王家との結婚に異を唱える声もあったそうです。

そんな中、フィリップは戦時中に英軍に従軍した外国人枠を利用して英国に帰化を申請し、その申請が認められました。またギリシャ及びデンマーク王子の称号を捨て、ギリシャ正教から英国国教会に改宗し、ナチス関係者と結婚した者が含まれていたという4人の姉妹は、エリザベスとの結婚式に招待さえされませんでした。様々な困難を経て、フィリップが26歳、エリザベスが21歳の時に晴れて結婚。1952年にエリザベスが女王となってからは、フィリップも女王を支える良き伴侶として、現在までの人生を共に歩み続けてきたのです。

 

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