ハロッズ〜イギリスの老舗高級百貨店〜

ハロッズは、ロンドン中心部ナイツブリッジ・ブロンプトン ロードに本店を構えるイギリス最大の老舗高級百貨店です。 最寄りのロンドン地下鉄駅はピカデリー線・ナイツブリッジ駅です。創立は1834年ですから、今年で183年の歴史を持つデパートという事になります。
イギリスにお越しになられた際、この本店又はヒースロー空港内免税店にお立ち寄りになった事がある方も多いのではないでしょうか?
今日は、私の大好きなデパートの一つ『ハロッズ』についてです。(ちなみに、見て回りるのが好きで、買い物をする事はあまりありません)

ハロッズは5エーカー (20,000 m²)の敷地に100万平方フィート(9万㎡)以上の売り場面積を有し、330を超える専門店があります。

ハロッズのモットーは「Omnia Omnibus Ubique」で、ラテン語で「あらゆる商品を、あらゆる人々へ、あらゆる場所へ」。クリスマス限定の店舗や食料品売り場はその商品の豊富さで知られ世界的に有名です。私も日本に里帰りの際、2階にある『ハロッズ・ギフトホール』で、ハッロズのロゴ入りグッズをお土産用に買いに行きます。

創業以来、5人のオーナーにより所有されてきましたが、現在のオーナーはカタール政府系の投資ファンド カタール・ホールディングスで、2010年5月、ハロッズは売却に対して拒否する姿勢を示しましたが、同月8日にエジプト出身の富豪モハメド・アルファイド氏から推定15億UKポンドで買収しました。

ハロッズの歴史を少し紐解いてみましょう。

ハロッズの創業者『チャールズ・ヘンリー・ハロッド』は1824年、25歳の時に起業しました。1831年まで洋服店・生地商でした。1825年には”Harrod and Wicking,Linen Drapers,Retail” の企業名での記録が残っていますが、同年末には消滅しまった様です。1832年に”Harrods & Co.Grocers”の名で食品雑貨店として事業を立ち上げました。1834年、紅茶に特別な興味を示したハロッド氏は、ロンドンのイースト・エンド、ステップニーのケーブル・ストリートに食品雑貨の小売店を立ち上げ、これが今日まで続くハロッズの原点となっています。 1849年、現在の店舗の所在地であるブロンプトン地区に小さな店を買い取って営業を開始しました。最初は2人のアシスタントと1人のメッセンジャーボーイを雇って始まったハロッズでしたが、後に経営が息子の『チャールズ・ディグビー・ハロッド』に引き継がれ、医薬品・香水・筆記具・青果の販売を取り扱うようになったのをきっかけに、ますますの繁盛を遂げました。その後、隣接する建物も買い取りし、拡大を続けたハロッズは1880年には従業員数が100人を超えるまでに成長しました。

しかし、順調に成長してきた店の運命は、1883年12月初めの火事によって苦難の時を迎えます。 この苦難から回復する為にチャールズ・ハロッド氏は、顧客にクリスマスの配達を実施し記録的な利益を上げる事に成功しました。


ところで、ここで一つ余談を、、、。                                1898年11月16日の水曜日、ブロンプトン・ストリートの本店で、イギリス初の《動く階段(エスカレーター)》の実用化が始まりました。この《動く階段》は現在、私達が良く知る一般的なエスカレーターとは異なり、マホガニー材と皮革製の連続したベルトのユニットから成る “ベルトコンベア風の段のない階段部分” と銀色の板ガラス製の手すり部分で稼働していたそうです。初めて、このエスカレーターを体験するという “試練”で弱ってしまった、お客さんは、エスカレーターを上った先で店員に気付け代わりのブランデーを提供してもらって元気を取り戻していたそうです。 私達にとって、デパートにあって当たり前の「エスカレーター」の始まりはが、ハロッズにあったなんて驚きですね(^。^)

 

 

私の大好きなシーサイド〜ブライトン(Brighton)〜⛱

ブライトンは、英国人から愛される南海岸地方でロンドンからわずか85キロ南に位置する、イギリスでも人気のリゾートタウンです。列車で約1時間半程です。

知名度・規模ともにイギリス有数の海浜リゾート・観光都市でもあるので、ホテルやレストラン、エンターテインメント施設が多数あります。そして、大学や語学学校が多い為、学生が集うパブやナイトクラブが多数あり、パーティ・タウンとしても有名です。

ブライトンのビーチは、砂浜に沿ってバー、レストラン、ナイトクラブ、およびゲームセンターが立ち並んでいます。砂浜の内陸側にもアトラクションが多数あり、ロンドンから日帰りで行けるビーチリゾートとして人気で、夏には多くの人が訪れるます。 ⛱🎡🎢

ところで、毎年5月に23日間にわたって開催される『ブライトン・フェスティバル(Brighton Festival)』はイギリスでも最大規模の芸術祭です。始まりは1966年までさかのぼります。

みどころは多岐にわたり、舞台・音楽・文学・視覚芸術など、ありとあらゆるジャンルです。そのなかでもよく知られるものは「Artists Open House」。その名のとおり、フェスティバル期間中に限ってアーティストや工芸家が自宅やアトリエを一般に公開します。


最後に、ブライトンはLGBT(Lesbian, gay, bisexual and transsexual)コミュニティの多い街で、LGBTを援助する団体や、関連するバーやナイトクラブなどが数多くあります。   ブライトンはしばしば「イギリスにおける同性愛者の首都」とも呼ばれる事があり、毎年8月にはゲイ・パレードが開催され、数多くの参加者と観衆がブライトンを訪れてます。

 

ウインザー城👸

エリザベス女王は、公式行事がない週末はロンドン近郊にあるウィンザー城で過ごされています。900年以上英国王室の宮殿として使われており、現在もロイヤルファミリーや国賓の滞在、国家行事、晩餐会が行われているウィンザー城を紹介したいと思います。

ウィンザー城 (Windsor Castle) は、イングランドの都市ウィンザーにあるお城です。ロンドンのバッキンガム宮殿から車で1時間程の所にあり、毎年多くの観光客が訪れています。 およそ45,000平方メートルの床面積を持ち、現存する城で人が住むものとしては最大のものです。

女王が週末を過ごすためにここを訪れているときには王室旗が、平日などのいらっしゃらない時にはイギリス国旗がはためいています。

 ウインザー城ラウンドタワー

ラウンドタワーの周りの堀に沿って奥に歩いていくと右手に大きな建物がステート・アパートメント(公式諸間)があります。内部の王室コレクションの絵画・装飾品・家具は豪華絢爛です。

王室御用達イギリス食器の展示や武器や甲冑が部屋一面に飾られ、奥に進むと歴代の国王や女王の謁見の間、寝室、大広間があります。フランスのナポレオンが宿泊した寝室もあり実際に国賓を招いて晩餐会が行われた大広間があります。

実は、この美しいウインザー城は1992年に火災に遭いました。1992年11月20日・午前11時15分、女王の専用礼拝堂にあったカーテンが押しつけられたスポットライトにより発火しました。ステート・アパートメントの大部分はすぐに燃え上がり、長さ9メートルあったカーテンは床に落ち燃え続けました。

ウィンザー城はこの火災で甚大な被害を受け、数年かかって3650万ポンドをかけて完全に修復されました。火災の修復費用・復旧費用捻出の為、女王の収入からの納税、エリザベス女王はもう1つの官邸であるバッキンガム宮殿の一般公開を始めるしかなかったのです。

ところで、ウィンザー城下に『ロイヤルタウン』と呼ぶにふさわしい美しい街並みが広がっています。11世紀から城下町として栄え、パブも数多くあり、地ビールや各国のビール。もちろん、イギリスの伝統料理「フィッシュアンドチップス」や「サンデーロースト」も楽しむ事が出来ます。その他、イギリス発のブランドのお店やイギリスのお土産屋もたくさん並んでいます。

そして、ウィンザー城を出て右手に歩いてウィンザー&イートン橋を渡り、さらに進んでいくといくとウィリアム王子とヘンリー王子の母校としても有名なイギリス屈指のエリート校「イートン校」があります。

 イートン校

“ウインザー城👸”の続きを読む

イギリスの変わった風習〜パンケーキの日〜

『パンケーキの日』と聞いて何を思い浮かべますか? 私たち日本人にとってはなじみ無い風習ですが、イギリスでは、れっきとしたキリスト教にまつわる伝統行事です。今回はその由来や楽しみ方などを紹介いたします。

『パンケーキの日』はキリスト教信者がイースター・復活祭前に行う40日の断食期間(日曜日は除く)を前に戸棚の中の卵や牛乳などを消費する為や卵や牛乳で滋養を摂っておくためにパンケーキを作ったのが始まりと言われています。現在は40日間も食事制限をする人はあまり居ないので、毎年2月の告解の火曜日《Shrove Tuesday》にパンケーキを食べる伝統が維持されています。(今年は2月28日でした)《Shrove Tuesday》にパンケーキを食べるのは主に英国・アイルランド・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなどのカトリックなどの国々です。参考までに、来年2018年は2月13日になります。

ところで、この『パンケーキの日』にちなんで、フライパンに入ったパンケーキを持ったまま走る『パンケーキ・レース』というイベントも行われます。これは15世紀から続く英国の風習で、イングランド南東部バッキンガムシャーのオルニー市に住んでいた、ある主婦が始まりだそうです。      1445年に、彼女がパンケーキを焼いていたところ、礼拝の始まりを告げる教会の鐘が鳴り響き、懺悔の時間に遅れそうになったのでパンケーキの入ったフライパンを持ちエプロン姿のまま大慌てで教会へ駆け込んだというのが、レースのきっかけという言い伝えがあります。

 オルニー主婦のパンケーキレースの様子。

昔は参加者は主婦のみでゴールは教会だったそうですが、現在は性別関係なく英各地でレースが開催されています。      参加者はエプロンにスカーフ姿で、熱々のパンケーキが入ったフライパンを持ちゴール目指して走ります。途中で3回(2回という説もあり)フライパンの中のパンケーキをひっくり返さなければ失格です。

ちなみに『パンケーキ』というと通常フカフカしたホットケーキを思い浮かべると思います。イギリスのパンケーキはホットケーキのように分厚くなく、クレープの様にやや薄めです。焼いたパンケーキは葉巻のような形に巻いて、上から砂糖とレモン汁をかけて食べます。生クリームもフルーツも使わずシンプルな味です。

 これに水をいれ、よく振りパンケーキを作ります。

Russefeiring〜ラス。ノルウェー🇳🇴の高校生の卒業前のお祭り〜

他のブログで2度程登場した、オスロー在住・ファリアン君より興味深い話を聞いたので紹介したいと思います。

Russefeiring(russ celebration)は、学年度最後の春学期にノルウェーの高校生に伝わる伝統的なお祝いです。( 注; ヨーロッパでは、新学期は9月に始まり7月に終わります)。 お祝いに参加する学生は『Russ(ラス)』とよばれます。 Russefeiringは、伝統的に4月20日頃から始まり、5月17日、ノルウェーの憲法の日に終わります。参加者は色付きのコスチュームを身に着けグループで、この期間中、昼間は学校に行き、学校が終わる夜中でも時間を気にかけず祝います。
彼らはバスやトラックを借りて、好きな様に飾り付け、できるだけ大きな音を出し騒ぎます。なので、冗談抜きで市民は目を覚ます事になります。確かに、バスを借りるのは高価です。非常に費用がかかります。でもラスの大半はただの自由主義者です。

でも、ラスもラスなりに、この伝統を守っていて、彼らはビールの小樽を通りすぎる人や家にサービスします。
また、車がビープ音を鳴らすたびに、彼らは一杯のビールを飲まなければなりません。 警察のお世話になる事は普通で、注意されればただ立ち去るだけです。
ファリアン君曰く、、、
「僕もラス派閥も持っています。学校によくある派閥の様なものです。それぞれの学校のラスの名前は、学校名から来ていて、学校の名前で呼び出されることを意味します
僕の学校の場合『ネズブラ』。
だから僕の学校のラスは『ネズブラスラス』と呼ばれています。」

Heathrow Airport 〜ロンドン・ヒースロー空港〜 LHR

イギリスの空の玄関口『ヒースロー空港』。本当にいつもお世話になっております。 今回は、私の拠点空港、ヒースロー空港のお話しです。

ヒースロー空港(IATA:LHR、ICAO:EGLL)は英国ロンドンの主要国際空港です。世界で3番目に忙しい空港で2016年には7515万人の乗客が利用しました。

ヒースロー空港はロンドン中心部から14マイル(23km)西に位置し、東西滑走路が2つあり、12.27平方キロメートル(4.74 sq mi)の敷地内に4つのターミナル(ターミナル2・3・4・5)があります。ターミナル3は『ヴァージン・アトランティック航空』のハブターミナル。ターミナル5は、ブリティッシュ・エアウェイズの主要ターミナルとなっています。

その他、84カ国の185都市を行き来する80以上の航空会社が利用しています。

ヒースロー空港は1929年にヒースロー村の南東にある小さな飛行場として始まりました。当時、農場・市場庭園・果樹園がありました。現在、閉鎖中の第1ターミナルの建物の土地に「ヒースロー・ファーム」、「ヒースロー・ホール」、「ヒースロー・ハウス」がありました。この村落は、現在の中央ターミナルエリアの東と南の端に沿っておおよそ走った国道(Heathrow Road)沿いにありました。

政府は空港を民間の空港として発展させ続け、1946年にロンドン空港としてオープンし、1966年にヒースロー空港に改称されました。

ヒースロー空港近辺には、他に5つ空港があります。ガトウィック空港、スタンステッド空港、ルートン空港、サウスエンド空港、ロンドンシティです。6つの空港では定期便が運行されています。

ところで、ヒースロー空港からロンドン市内へは、ヒースローエクスプレスが便利です。少し料金は高めですが30分で着く事が出来ます。

 ヒースローエクスプレス

 

The Tale of the magic saucepan〜魔法のお鍋の物語〜

昨年の9月に現在14歳の私の息子が絵本をいたしました。

タイトルは、The tale of the magic saucepan〜魔法のお鍋の物語〜。 現在は、英語のみですが、いつか日本でも発行出来たらと思っています。

アマゾンで購入出来ます。

https://www.amazon.co.jp/Tale-Magic-Saucepan-Martin-Katanchi-Shimotani/dp/152463512X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1494178494&sr=8-1&keywords=The+tale+of+the+magic+saucepan

 ISBN:978-1-3246-3512-1

物語は、第2次世界大戦が終結した直後から始まります。この物語の主人公である当時12歳の「Joshua(ジョシュア)」が、病気がちの母親との生計を助け為、小さな露店で古い鍋を売っていました。 11月末のある寒い朝、一人の老人がどう見ても価値なんて古いお鍋を売りにやって来ます。ジョシュアは、再販価値なんて殆どないと思いましたが老人が可哀想に感じ買う事に同意します。 そして、老人は誰に言ってもいけない鍋についての秘密をジョシュアに告げます。

物語は、裕福でも貧乏でも平等・公平に教育を受ける権利があり、自分の努力次第で将来を豊かに出来る、、というメッセージを伝えています。

 息子/著者 カタンチ下谷 真輝

ホームページ www.martinkatanchi-shimotani.com

Eメール martin.shimotani@gmail.com

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London Underground〜ロンドン地下鉄〜

ロンドンに観光などにいらっしゃると利用される機会があるのが、ブラックタクシー、地下鉄、そして名物赤いバス。 何年もロンドンに住んでいますが、今だにロンドンバスは苦手であまり利用しません。 今回は、市民にも大切な交通網、ロンドン地下鉄のお話です。

ロンドン地下鉄(London Underground)は、イギリスロンドンと、隣接するバッキンガムシャー、エセックス、ハートフォードシャーのいくつかの地域を走る世界最古の地下鉄です。最初の区間はメトロポリタン鉄道により1863年1月10日に開業しました。初期の路線の大部分は、ハマースミス&シティー線の一部として今も使用されています。ロンドン地下鉄には現在11の路線に、270の駅が存在し総延長距離は400kmに及び、45%の駅・線路が地下にあります。

ロンドン地下鉄は、アメリカや日本の地下鉄のようにSubway(サブウェイ)とは呼ばれず、ロンドンの住民には単に”the Underground”または “the Tube”と呼ばれています。ちなみに”Subway”は地下道のを意味します。

もともといくつかの民間企業が所有していた初期の管路は、20世紀初頭に”Underground D”の傘下になり、1933年の地下鉄サービスとバスサービスが併合され、LPTB(ロンドン旅客運送委員会)の管轄なりました。 現在は、Transport for London(TfL)が運営しています。

1983年よりTravel Card(ゾーン制1日乗車券)の発行が始まり、2003年にはOyster Cardの導入・使用が始まりました。 観光客は、駅の窓口でデポジット£5をで購入する事ができます。

ちなみにロンドンバス利用には、オイスターカードが必要です。

 

エリザベス女王の伴侶〜エジンバラ公フィリップ殿下〜

来月の誕生日(6月10日)に96歳になられるフィリップ殿下。  先日、今秋で公務から引退する事が発表されました。英史上最長の在位期間を誇るエリザベス女王の伴侶として、チャールズ皇太子が激しく反発した厳格な父親として、そしてときに過激なユーモアを発するおじいちゃん(?)として英国民から愛されてきました。 人格形成に大きく寄与したと言われる彼の波乱万丈の壮絶な人生を振り返ります。

1921年6月10日に当時のギリシャ国王の弟の長男として生まれたフィリップ殿下は、王位継承順位第6位のギリシャ王族でした。しかし、フィリップが1歳6ヶ月の時に同国でクーデターが発生し、両親と4人の姉と共に亡命生活を余儀なくされました。親戚関係にあったエリザベス女王の祖父であるジョージ5世の助けを受け、ギリシャを抜け出した一家はパリ市内中心部に程近いモンマルトルの丘とエッフェル塔が見渡せる所に居を移しました。 当時フィリップの家族は、英語・フランス語・ドイツ語が飛び交う家庭環境で暮らしたそうです。

亡命生活が始まって以来、フィリップの母親・アリスは躁うつ病の様な症状に悩むようになりました。またオカルトにものめり込み、グラスの上に置いた指が勝手に動いて精神世界が発するメッセージを書き表すという、いわゆる日本の「コックリさん」に似た様な現象に凝ったり、イエス・キリストと結婚した唯一の人であると信じたりする様になりました。 日常生活を送るのが困難となったアリスは、スイスにある療養所に移されました。  一方、父親・アンドレオスは愛人と暮らす為、モナコへと姿を消してしまいました。 その不倫相手というのが、ナポレオン3世や印象派画家・モネなどの愛人だったひ孫にあたる女性だったそうです。 またアンドレオスは、モナコで酒や賭け事にも溺れていたと伝えられています。その上、4人の姉達は次々と結婚してしまい、残されたフィリップは幼くして孤児同然となってしまったのです。

家庭崩壊の憂き目にあったフィリップは、母方の家族の勧めを受けて、8歳のときにパリのアメリカン・スクールから、イングランド南部バークシャーにある寄宿制の私立小学校に転校します。学期休みの期間は、祖母・ヴィクトリアが暮らすケンジントン宮殿で過ごすなどしていました。同校への入学時には英語よりもフランス語を流暢に操ることができたといい、数学やスポーツでは優秀な成績を残したそうです。   運動神経は良かったようで、校内大会では高跳び・水泳・飛び込みなどの種目で入賞。サッカーではゴール・キーパーのポジションを獲得、クリケットでも活躍したそうです。

フィリップが13歳になったとき、ドイツ系貴族の血を受け継ぐ母方の親戚はフィリップをドイツ南部ボーデン湖の近くにある学校ザーレムに入学させました。当時のドイツと言えばナチスが影響力を次第に高めていった時代で、校内にはかぎ十字が描かれた旗がはためいていました。                           フィリップはナチス特有の敬礼が同校の生徒がトイレに行きたいときの決め事となっている手の挙げ方と似ていたことから、その敬礼を見る度に笑い転げていたそうです。

結局ドイツでの学生生活は一年で終了し、ユダヤ系であったザーレムの校長がナチスから逃れてスコットランドに新設した、ゴードンストウン校に転校しました。 強靭な人格を形成することを主眼とする規律の厳しい男子校で、同校では航海技術の訓練が必修となっていました。ここで航海技術を習得したフィリップは、卒業後イングランド南東部端にあるダートマス海軍兵学校に入学し、ここがエリザベス女王との出会いの場所になりました。

同じ祖先の血を分けた王家の親戚付き合いの関係で、フィリップとエリザベスの家族は、結婚前から数度にわたり同じ場に居合わせたことがありました。 例えば幼少時のフィリップは、両親とともにエリザベスの祖母であるメアリー王太后とバッキンガム宮殿でお茶をともにしたことがあり、またウェストミンスター寺院で執り行われた親戚の結婚式にはフィリップとエリザベスがともに出席していました。 しかし2人が本当の意味で出会ったのは、フィリップが18歳、エリザベスが13歳の時でした。 当時の英国王ジョージ6世がダートマス海軍兵学校を訪問した際に長女のエリザベスのお世話役を同校に通っていたフィリップが務めたそうです。子供の扱いが上手だったフィリップは、しばらく電車のおもちゃで遊んだ後テニスコートにエリザベスを誘い、そのコートに張られていたネットの高跳びを披露したと伝えられています。   その間エリザベスはフィリップから目を離すことがなく、その場でお付きの人々にフィリップの素晴らしさを語り続け、翌日になっても自ら積極的にフィリップに話し掛けにいったそうです。以後フィリップが親戚付き合いなどを兼ねて王室関連行事に出席する度にエリザベスは彼への関心を高めていったそうです。そうする内に、2人の結婚について周囲でちらほらとささやかれるようになりました。

海軍兵学校を卒業したフィリップは士官候補生として英海軍に入隊し第二次大戦に従軍しました。戦争中もフィリップとエリザベスは遠距離恋愛を続け、フィリップはエリザベスの写真を航海中の船室内に掲げ、またエリザベスは宮殿内の一室にフィリップの写真を置いていたそうです。変な噂を立てられてはいけないからとお付きの人に自重を求められると、エリザベスは顔中に髭をたくわえたフィリップの写真に差し替えて「これでも誰の写真か分かるという人がいたら無視する」と言い放ったそうです。

 1947年 新婚旅行において、エリザベス女王との散歩を楽しむフィリップ殿下

終戦後間もない1946年の夏、フィリップはエリザベスの母親に誘われてバルモラル城で3週間の休暇を共に過ごしました。このときにエリザベスに求婚したと言われています。

2人が結婚に向けて本格的に動き出した時に周囲から問題とされたのが、彼の粗野な振る舞いとギリシャ生まれでドイツ系の家系というバックグランドでした。 当時、戦時中のナチス・ドイツの行いについての印象が英国内でまだ根強く残っており、王室関係者の間では妬みなどからフィリップの悪評を広めようとする者たちがいました。当時行われた世論調査でも2人の結婚に対する賛否がほぼ真っ二つに分かれており、反対意見の中には外国の王家との結婚に異を唱える声もあったそうです。

そんな中、フィリップは戦時中に英軍に従軍した外国人枠を利用して英国に帰化を申請し、その申請が認められました。またギリシャ及びデンマーク王子の称号を捨て、ギリシャ正教から英国国教会に改宗し、ナチス関係者と結婚した者が含まれていたという4人の姉妹は、エリザベスとの結婚式に招待さえされませんでした。様々な困難を経て、フィリップが26歳、エリザベスが21歳の時に晴れて結婚。1952年にエリザベスが女王となってからは、フィリップも女王を支える良き伴侶として、現在までの人生を共に歩み続けてきたのです。

 

急成長を遂げ続ける都市〜ドバイ🇰🇼〜 その2

こんにちは😃 。ドバイにはオススメしたい所はたくさんありますが、その中で是非お時間があれば訪れて欲しいスポットを紹介します。

Burj Khalifa(ハリファ塔)

2004年に着工され2010年1月4日にオープンした世界一高い超高層ビル。全高さは828メートル・206階建て。

展望台のチケットは、124階(452メートル)の展望台『At the Top』と148階(555メートル)の展望台『At the Top Sky』の2種類があります。 当日券もありますが値段が割高になる上、購入に長い時間並ばなければならないので、事前にオンライン予約をするのをオススメします。 ちなみに夕日が見られる時間帯は値段が少し高くなります。

 入り口

  124階展望台からの眺め  見上げてみた。

 

Dubai Mall(ドバイモール)

キャリファタワーに隣接するショッピングモール。2008年10月30日に世界最大のショッピングモールとして開業しました。

総面積約111.5万平方メートル、屋内フロア約55万平方メートル。店舗は合計1,200店舗あり、ほかに水族館やアイススケートリンク、ウォーターフロントアトリウム、22のスクリーンを持つ映画館があります。

ちなみに、100均のダイソーと紀伊国屋書店もありますよ〜^_^。

 有名な室内滝

このドバイモールの中に私のとてもお気に入りの場所があります。ドバイにいるとは思えない様な別世界で何故かそこに行くと心がとても落ち着きます。 目立たない一角にあるので、あまり知られて無いかもしれません。^_^

 美しいと思いませんか?

 

Mall of Emirate(エミレーツモール)

2005年11月開業した世界最大のドバイ・モールに次いで2番目の規模を持つショッピングモールです。

面積およそ23万平方メートル、560以上のショップと90以上のレストランが3フロアにわたって入っているほか、中東初の屋内スキー場「スキー・ドバイ」や屋内遊園地、映画館、劇場も備えています。

 

最後にもう一つ、、、 もし時間があればランドクルーザーで砂漠を駆け抜け+ラクダ🐪に乗るツアーをオススメします。午前中に行くのがオススメ(^。^)